みなさん、こんにちは。「ちょっと素敵な人生」運営兼ライターのかっつんです。
今日は私が長年にわたってファンでもある、日本の伝説的ロックバンド『Godiego(ゴダイゴ)』について、その2です。
自分たちの音楽を世間に
ボストン近郊の片田舎でミッキー吉野とスティーブ・フォックスが語り合った「東京を拠点とした世界的バンドを作ろう!」という夢は実現に向けて歩み出しました。1976年4月にリリースされたデビューシングル『僕のサラダ・ガール』(作詞/奈良橋陽子・作曲/タケカワユキヒデ)はカネボウ化粧品のCMソングでもあり、オリコンチャートで最高位37位を記録するなど、ロックバンドとしてはまずまずのヒットを記録します。
その後、ミッキー吉野の“自分たちの音楽をいろいろなかたちでばら撒いていく”というポリシーのもとTV、映画、CMなどの音楽制作や他アーティストのアルバム制作への参加など活動の幅を広げていきます。そういった活動の延長上に映画『ハウス』の音楽制作があります。これはのちに尾道三部作などが知られる大林宣彦氏が監督を務めた作品で、すでにCM業界で実績のあった同氏の劇場公開用映画初監督作としても知られています(映画にはゴダイゴがチョイ役で出演しています)。ただ、この話が進行していく段階で、メンバーのひとりドラムスの浅野良治がグループから離れます。このため、ミッキーとスティーブは後任のメンバー探しを始めます。
日本からの手紙
ところで、ミッキーとスティーブがボストンのローカルバンドで活動中に出逢っていたトミー・スナイダーとは、二人が日本に帰国して以降は、一度関係が途切れます。
ある日、トミーがふと立ち寄ったカフェで他の客が“JAPAN”と書かれたエアメールを手にしているのを目にします。その時、トミーは以前に親交のあったミッキーやスティーブのことを思い出しスティーブ宛に手紙を書きました。後日、スティーブの元に届いたその手紙は彼とミッキーにとっては“渡りに船”でした。ボストン時代にトミーのプレイを見ていた二人は彼を新メンバーにすることを決め、アメリカに電話します。
『ゴダイゴのメンバーにならないか?』
丸い一日考え抜いたトミーは日本へ渡ることを決意。1977年3月に正式にゴダイゴに新メンバーとして加入。ここに、本当の意味での『ゴダイゴ』が結集しました。
世界進出の第一歩を
新メンバーで早速最新シングル『シンフォニカ/ナウ・ユア・デイズ』が同年の5月にリリースされ、先に書いた映画『ハウス』の音楽制作も行われました。同時にライブ活動も積極的に行われ、徐々に世間に『ゴダイゴ』の名前とその音楽が浸透し始めます。そして2枚目のオリジナルアルバム『デッド・エンド』を1977年11月にリリース。このアルバムはレコーディングに400時間以上をかけた力作でそのクォリティーの高さからファンの間でも高い人気を誇っています。
また、かつて日本テレビで1973年に放映された『水滸伝』が1977年にイギリスBBCで放映され、そのテーマ曲『Water Margin』をゴダイゴが担当(ボーカルはトミー・スナイダー)、イギリスでもシングルとしてリリースされたこの曲は、全英チャートの第37位にランクインするという快挙を成し遂げています。
翌1978年の3月にはファーストアルバム『新創世記』に収録された「僕のサラダガール」を「Water Margin」に差し替え、アルバムタイトルも『Water Margin』としてヨーロッパ各地でリリースされ、まさしく世界進出の第一歩を歩み始めています。
危機を乗り越え大ヒット連発
このように、1978年に入ってもグループは精力的に活動を行っています。まず、1月には、これまで手がけたCMソングを集めたアルバム『CMソング・グラフティー』をリリース。このアルバムはこれまでのアルバムの中で最大のセールスを記録。また、7月に公開され大ヒットした映画『キタキツネ物語』の音楽を担当、サウンドトラックも同月にリリース。この映画ではタケカワが初めて日本語の歌詞にチャレンジしています。
この時期は、少しずつグループの活動が軌道に乗り始めた頃でもありましたが、実はグループには危機が訪れます。実は、1977年の12月には当時所属していた事務所が海外にある本社の都合により一方的に閉鎖されるという状況に直面します。また、グループとしても映画やCM音楽などの制作を通した実績やその高いテクニックに業界では評価があったもののヒット曲に恵まれていませんでした。
事実、メンバーの間では、次の曲がヒットしなければ解散するしかないという空気もあったようです。そのような中で進められた「デッド・エンド」に続く、3枚目のアルバム制作。このアルバムは西遊記をテーマにすることと決まりました。そしてタイミングよく、日本テレビでも俳優の堺正章主演による西遊記をテーマにしたドラマが制作されることとなり、3枚目のアルバムはゴダイゴのオリジナルアルバムであると同時にこのドラマのサウンドトラックを兼ねるというものになりました。
そして、ここからゴダイゴ伝説が始まります。まず、ドラマのエンディングに使用された『ガンダーラ』が先行してシングルカットされると、これが大ヒット!その後3枚目のアルバム『西遊記』もリリースされ、こちらはオリコンチャートの1位にランキングされます。ミッキー曰く「勢いをつけるため」として、ガンダーラのリリース後からわずか2か月後の12月に『モンキー・マジック』をシングルカット、こちらも英語詩にも関わらずヒットします。そしてその勢いは1979年になっても続きます……。
その3に続きます。
今日は、日本の伝説的ロックバンド『Godiego(ゴダイゴ)』のデビューから『西遊記』がリリースされるまでの経緯でした。今日は最後までお読みいただき、ありがとうございます。
では、次回の記事をお楽しみに!
今日もみなさまの人生が素敵でありますように!
この記事に関するお問い合わせやご質問、ご指摘などがありましたら下記フォームへご入力の上、送信してください。
なお、内容によってはご返答までお時間をいただく場合がございます。
あらかじめご了承のほど、よろしくお願い致します。