みなさん、こんにちは。
「ちょっと素敵な人生」運営兼ライターのかっつんです。

今日は私が長年にわたってファンでもあり、
2026年にデビュー50周年を迎える
日本の伝説的ロックバンド『Godiego(ゴダイゴ)』について書きます。

この記事は4回に分けて書きます。その1回目です。

ボストンの田舎町で

ゴダイゴの結成は1975年。つまり、2025年で結成50周年を迎えました。

バンドの結成に至るまでは、さらに少し年数を遡ります。

そもそも、ゴダイゴは
バンドのリーダー、ミッキー吉野のアイデアが基になっています。

彼は60年代に日本の音楽シーンを席巻していたグループサウンズで、
人気グループのひとつとして数えられる『ゴールデン・カップス』
わずか16歳で参加します。

その後、グループ脱退後の1971年に
アメリカのバークリー音楽大学へ留学。

それを追うようにして同じく
バークリーに入学するのが
ゴダイゴのベーシストであるスティーブ・フォックス

二人はミッキーがゴールデンカップスで活動する以前から
面識のある旧友でもあり、
当時家庭の事情でアメリカのテキサスにいたスティーブを
ミッキーが誘ったのでした。

そして、二人はバークリーのあるボストンを拠点に
ローカルバンドとして活動します。
(この頃、のちにメンバーになるトミー・スナイダーとも出逢っています)

ある日、とあるライブに向かうクルマの中で、
ミッキーはスティーブに
東京を拠点として活動するグループ結成のアイデアを打ち明けます。
そのグループ名『ゴダイゴ』とともに。

バークリーには、音楽を学ぶために世界中から若者が集まっています。
ミッキーには、そんな仲間ともにグループ結成のオファーもあったといいます。
しかし、当時の彼はアメリカ音楽界に魅力を感じず

「それなら東京を拠点とした世界的バンドを作ろう!」

という思いもあったそうです。

ちなみにゴダイゴをアルファベットで書くと
本来は『Godaigo』ですが、
それを『Godiego』にというアイデアは
スティーブによるものです。

ボストン時代のミッキーを知るには『ミッキー吉野の人生の友だち』がオススメです。

英語のアルバムを作りたい

一方、日本ではある若いアーティストが
ソロデビューのためにアルバム制作中でした。

その名は『タケカワユキヒデ』

彼は、音楽出版社(レコードの原盤を制作する会社)に在籍する
ジョニー野村に見出され、
プロのアーティストとしての活動をスタートしたばかりでした。

デビューアルバムは全曲英語詩という
画期的なものでしたが、アルバムの制作では
アレンジやスタジオミュージシャンとのやりとりで
行き詰まっていたのです。

彼はスタジオミュージシャンと呼ばれる人たちと仕事をするのが初めてで、
彼のアレンジとスタジオミュージシャンがうまく噛み合いませんでした。
スタジオミュージシャンをうまくまとめられたり、
あるいはその人たちにあうアレンジのできる人材が必要な状況でした。

アルバムをプロデュースしていたジョニー野村がタケカワに言います。

「実は打ってつけの人がいる。彼はもうすぐアメリカから帰ってくる予定ですぐに連絡がくるはずだから。ミッキー吉野って知ってる?」

数日後にミッキーからジョニーへ連絡があり、
合うこととなりこれにタケカワも同行します。

ここでミッキーはジョニーへ
新しいグループの構想を打ち明けます。

グループ名は秘密だからと最初は内緒にしていましたが、
最後には意を決したように『ゴダイゴ』と打ち明けます。

この時のタケカワと言えば、
本人はのちに自分がそのメンバーになるとはこの時点では全く考えておらず、

「この人は本当にアルバムの制作を手伝ってくれるのだろうか?」

という心配をしていただけでした。

ミッキーがアレンジで協力し
全曲英語詩で構成された
タケカワユキヒデのデビューアルバム『走り去るロマン』
1975年1月にリリースされました(写真は1979年5月の再リリース版)。


いよいよ始まる

ミッキーはいよいよ新しいグループに向けて、
活動を開始します。
ベーシストは当然スティーブ・フォックス。
ギタリストには、ある人物を考えていました。

『浅野孝己』

彼もまた、
16歳の頃からプロとしての活動を始めた
早熟ギタリストで、
当時の日本では数人しかいなかったという
ブルースギターのプレイを
他のプロのミュージシャンが観にくるというほどの
テクニックの持ち主でした。

ミッキーやスティーブもまた、
Mというバンドで活動中の浅野氏のプレイを観ています。

ただ、この時は浅野氏本人のさまざま都合があり、
すぐに合流とはなりませんでした。

ミッキーとスティーブは
旧知のメンバーで『ミッキー吉野グループ』を結成し
沢田研二のバックバンドや
テレビ番組の音楽担当などの活動しつつ、
ゴダイゴの具現化を探ります。

一方、タケカワは無事にデビューアルバムをリリースし
合わせてCM音楽の制作なども行うようになりました。

そして、タケカワのライブでは
『ミッキー吉野グループ』がバックバンドを担当しています。

当初は別のギタリストが在籍していた『ミッキー吉野グループ』
タケカワ氏の渋谷公会堂のライブで浅野がグループに合流します。

浅野はタケカワのレパートリー
20曲を1回のリハーサルでマスターするという、
離れ業を披露しています。

『ミッキー吉野グループ』
少しずつミッキー本人の理想とするメンバーが集まっていったものの、
肝心のボーカリストが定まっていませんでした。

一方、タケカワも
念願の全曲英語詩によるアルバムを発表したものの、
この頃の日本はどちらかといえば
フォークミュージックが全盛の時代もあって
決してメジャーなストリームに乗ったわけではありません。

1975年の12月、
ミッキーはタケカワ氏に『一緒にやらないか?』と提案します。

タケカワのポップセンスや
いずれ世界進出を目指すという点でも、
英語の曲が歌えるシンガーは打って付けでした。

タケカワも自身の置かれた状況を打開したいとの思いもあり、
ミッキーの提案に納得します。

この瞬間、

ミッキーやスティーブが
ボストン時代から描いていたグループ、

ゴダイゴが誕生します。

そのメンバーは
リーダーとキーボードがミッキー吉野
ギタリスト、ベーシストがそれぞれ浅野孝己スティーブ・フォックス
ドラムスはギタリスト浅野氏の弟である浅野良治
そしてボーカリストがタケカワユキヒデというラインナップ。

制作中だったタケカワの2枚目のアルバムは急遽、
ゴダイゴのデビューアルバムと形を変えて進み始めます。

1976年7月にリリースされた
ゴダイゴのデビューアルバム『新創世記』

トラックNo.1〜4は、
映画『青春の殺人者』(監督・長谷川和彦、主演・水谷豊)にも使われています。

その2に続きます。

今日は、日本の伝説的ロックバンド『Godiego(ゴダイゴ)』結成からデビューまでの経緯でした

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

では、次回の記事をお楽しみに!

今日もみなさまの人生が素敵でありますように!

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