スタディー-Study-

コミュニケーション能力について考えてみたこと

ブログだったり、Twitterだったり、Facebookだったり、自分の意見を発信するツールを使う生活でをしていると、これまで以上に他者とのコミュニケーションの在り方を考える機会が増えました。

なので、今日はコミュニケーション能力について考えてみたことを書きます。

コミュニケーションの定義について

まず、ここでは学術的な側面でコニュニケーションを定義しようということではありません。そういったことは専門書にまかせるとして、まず、確実に言えることは「言葉のキャッチボール」という表現があるように、意思の疎通とか相互理解、共感が大前提だと思います。

なので、言いたいことがちゃんと伝わっている、ということの大切さについての内容です。

コニュニケーションとお互いの関係性

こんなシーン経験ありませんか?

『例の件、どうなった?』

『例の件?どの件?』

『ほら、あの件だよ。○○○の件だよ!』

(内心、最初から○○○の件って言ってよと思いながら)

『ああ、○○○の件なら、今日中に決着します』

聞き手は“例の件=○○○”と思っていて、相手もそれを理解しているという前途で質問しています。

だけど、受け手は例の件と言われても○○○△△△の案件を同時に抱えていたりするので、“例の件=○○○”じゃない。

なので、こう言った場面では、お互いに小さなストレスを抱えてしまうことがあります。

もっとも、ここにはお互いの関係性が深く関わっていて、関係性が築けている関係の場合、“例の件=○○○”でちゃんと通じることがあります。俗に言う「あ・うんの呼吸」ですね。

つまり、円滑なコミュニケーションは深い関係性を構築するという側面もありそうですよね。

結局は思いやり

一方で、同じ内容の話をする場合でも相手の立場、たとえば相手が上司の場合と反対に部下の場合では言い方や場所を変えることだってあります。プライベートな関係でも友達相手と恋人相手では話し方を変えることもあります。

これは結局、相手をどう思うかということ、つまりは相手をどう思いやるかが鍵だと思います。

以前ある方からアドバイスをいただいたことがあります。

それは「根回しとは結局は思いやり」ということ。「根回し」と言う言い回しは、特にビジネスの世界ではどこか裏工作的なニュアンスとして捉えることがありますが、実際にはそれはとても大事な思いやりだと、私も後々に実感する場面がありました。

つまり、日頃のコニュニケーションについても、いかに相手を思いやるかということが、円滑なコミュニケーションの大切なポイントだと考えるに至りました。


今日はコミュニケーション能力について考えてみたことを書いてみました。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

では、次回の記事をお楽しみに!

今日もみなさまの人生が素敵でありますように!