スタディー-Study-

見えてるものだけで判断する危うさについて考えてみた

素敵な人生を送りたいと思っていても、時にはうまくいかないこともあります。そのきっかけは、いろいろなことが引き金になりますが、今日は悪いことが起きた時に見えているものだけで判断する危うさについて少し考えてみたことを書きます。

起きていることには理由がる

日々暮らしていると、毎日が順調だとは限りません。時には思いもよらない出来事に遭遇することがあります。それは大袈裟なことじゃないにしても、たとえば部屋の中で家具に足をぶつけちゃった「アウッ!」となるような事でも、実は家具の配置がよくなかったりとか、意外とちゃんとした理由があるように思います。
取るに足らないことに思えても、それにきちんと目を向けないと、いずれもっと大きな出来事が発生しちゃう!なんてことになりかねません。
なので、何か起きた時は、「もう、イヤー!」と一時的な感情だけでやり過ごさず、実はそれについて考えるチャンスなんだと気づくことも大切じゃないかと思います。

隠れている問題を探る

でも、考える時に見えているものだけで判断するのは少し危ういんじゃないかとも思います。実は何か隠れている問題があるんじゃないかと、時には探って見ることも大事じゃないかと。付け焼き刃的な処理では、一時的にはしのぐことができたとしても、いずれはちゃんと取り組まないといけない時期が必ずやってきます。こういったことを考えられる癖をつけておくことが人生を素敵にするヒントになるのじゃないかなと思いますが、いかかでしょうか?

人も決して見えてるだけがすべてじゃない

同じことを人に置き換えて、人も見えているだけじゃすべてじゃないと、最近、よく考えます。たとえば、見た目とても楽天的なキャラクターの人が実は一人きりの時、物凄く深く考えていたりとか、意外にありそうですよね。人間関係が時にストレスになるのは、やっぱり人も見えている部分がすべてじゃないということが根底にあるのではないでしょうか。なので、私の考えとしては人付き合いもそれを前途にすれば、ストレス回避になるのじゃないかということです。


今日は見えてるものだけで判断する危うさについて考えてみたことを書いてみました。

最後までお読みいただきありがとうございます。

では、また次回の記事をお楽しみに!